桜を訪ねて ネパール1


染郷正孝著
 秋に咲く桜を知らなかった20歳代の頃、ネパールで空港から町までの道に桜が咲いていたのを見た。当時から花は好きだったので、秋咲きの桜を印象強く心に残していた。
 それから十数年後かに、桜の研究をするようになって、東京農業大学地域環境科学部森林学科と造園化学科での聴講生をしていた。その頃『桜の来た道』(染郷正孝著 信山社)を読んで、本にはネパールの桜が日本の桜のルーツかもしれないということが書かれており、ネパールで秋咲きの桜を見たことを思い出した。その本の著者、染郷正孝氏は東京農業大学の元教授だったと知った。
 その後、2008年の3月に私が桜染の展示会を京王プラザホテルの1階ギャラリーで開いた時、展示会場へ知人の桜育種家と共に染郷先生が来てくださった。 染郷先生は、展示していた桜の色の毛糸やスカーフの繊細な色合いに素直に驚かれた。そして、ネパール産の桜で染色したら、どんな色になるか、それを観光資源として販売できたら、ネパール人の生活が豊かになるのではないかと、話がネパールへと飛んだ。私はその話しから嬉しかった。桜を愛でるだけでなく、もっと活用できることが理解してもらえたからだ。
 日本人にとって桜は、春のシンボルであり、思い出の花であるばかりで、学校教育の弊害だろうか、誰もが同じイメージを刷り込まれてきている。いつまでも過去を振り返える幻想的な花と受けとめている。だから桜を商品化して、資金を作ろうとする発想がまったくなく、いつも思い出話で現実を見ていない。 私が桜染の展示をしている理由は、桜の保全の重要性を訴えると共に、その保全かかる費用をも桜で賄えるということを多くの人に知っていただくためである。「桜を愛でるだけではもったいない」と語りながら、地元の愛されている桜風景を継続的に保全する、そのための資金も桜で賄おうと言いたいのだ。美しい桜が観光資源も保全資金をも生む木なら、一石二鳥であるから、末永く大事に扱ってもらえるのではないか。もっと地域の風土に根差した活用を考えようではないかと言いたいのだ。 そもそも現在美しく咲いている桜は、それほど古い歴史があるわけでなく、戦後に日本各地に植えられた桜ばかりだ。既に40年以上も過ぎれば人間だって健康診断で、病気の箇所が増えてくるのと同じで、桜も病気になっている。
桜染展の様子
 具体的に言うなら、都会に植えられた桜は、高層ビルや排気ガス、交通量の多さから根を踏みつけられて傷んでいる。郊外の土手に植えられた桜も、幹回りが太くなり根を伸ばしても栄養を与えられるでもなく、テングス病などの病気になっても手入れさえしてもらえない。更に、春の観光時期には光熱の電球を巻きつけられ、もっと痛めつけられる。しかし、人々は観光資源、桜が咲いたいっときだけの利益だけしか計算していないから、桜の保存の重要性にはちっとも目を向けない。桜が瀕死の状態にあっていても、その傷みがこのまま放置され続けるなら、桜の下を通る人に、枝が折れて危害が起こる可能性が極めて大きい。万一事故が起きれば、被害者は桜の保全を怠った行政を訴えるだろう。訴えられても予算不足を理由に、行政は保全をボランディア団体に任せたがる。ところが保全を任されているボランティア団体も、会員の高齢化に伴いボランティア解散の危機に瀕している。誰もが誰かのせいにして、資金不足を理由に、保全について真剣に考えてこなかった。保全の資金は全て税金や地域のボランティアの好意に甘えていたが、そのボランディアも新会員の補充ができないまま高齢化し、もう当てにできなくなっている。これまでのように無関心では、桜風景の保全には手遅れの時期だと警告しているのだ。
 地球温暖化や天候不順、大陸からの公害などの影響は、桜だけのことではないが、若かい盛を過ぎた日本各地の桜は滅んでいくだろう。そんな日を迎えないように、桜の保全を訴えたくて、多面的な桜の活用法を展示の機会毎に語っているのだ。 桜の紅葉が美しい頃、ふと秋咲の桜がもう一度見たくて、2010年11月にネパールへ出かけた。染郷先生の紹介で、カトマンズのホテル、サンセットビューに宿泊し、カトマンズ周辺の桜を見てきた。
 およそ20年ぶりに訪ねた11月のネパールは、ほこりっぽい季節で、空港からカトマンズ市内への道にあった綺麗な桜並木は、ボロボロになって細い棒が植わっているだけだった。この時期のネパールは、登山シーズンも始まり、ホテルサンセットビューにはたくさんの宿泊客がおり、中庭には白い桜が咲いていた。一歩ホテルの外に出れば、露店も多くあって、携帯電話を使う人々の様子が唯一20年前と違っていた。
ネパールの桜と菜の花
 ホテル、サンセットビューのオーナーはネパール人のMr. Arjon Tulachan(アルジュン・トラチャン)で、夫人の紘子さんは日本人だ。夫人は染郷先生とも縁の深い方で、紘子夫人の案内で「フルベリー」と呼ばれる標高1,500~1,600メートル位の場所に連れて行ってもらった。フルとは桜の意味でベリーとは広い地域の事だと教えられた。「花の地域」と呼ばれる花が多く植わっている場所があり、その中に桜の村があるという。カトマンズから南へ車で3時間くらい走った山の上にあると聞いたが、道中、幾度となく運転手が止まって、道端にいる人々に声をかけ、その村への行き方を聞いていたのが不思議だった。その理由は、桜の村の住所が明確になく、道も少なく、どっちの方向かを聞けばたいてい目的地に行けるというのだ。当初私には、住所を知らぬまま車を走らせていることが理解できなかったが、この国には日本のように厳密な国土地図が無いようだ。なんとか目的地には無事に着いた。
 カトマンズから車で郊外へ走って行くと、段々畑に蕎麦や菜の花が咲いている。舗装されていないガタガタした細い山の尾根を何本も走り、大変疲れるドライブではあるが、車窓から見る風景は、どこか懐かしい日本の山村の暮らしを眺めているようで、荷物をロバの背に乗せて運ぶ人々や畑では牛を使って耕している人々が過去へタイムスリップしたような旅でもあった。
 紘子夫人の説明によれば、ネパールには天災が少なく、人々は湿度の多い場所に住むと病気になりやすいため、山の尾根筋に家を建てて暮らしいるという。だから桜の村も山頂にあった。桜の村には桜が多く植えられていて、その種類も多い。既に実をつけていた桜もあれば、咲いている桜もあったし、花の色も白から濃いピンクまで多様だった。樹形も上に伸びている木もあれば、横広がりの木もあった。枝垂れ桜を見ることはなかったが、おそらくそれもあることだろう。
 2007年に日本とネパールの国交樹立50周年を迎えた。その時福岡市と熱海市にネパールの桜を植えた。ネパールでも日本の桜を植えて、相互の交流を深めている。シンボル桜を交流のために植えるのは、ワシントンD.Cに桜を贈って以来、延々と続いているが、これは果たして有用なことなのかは疑問が残る。
 20年前にネパールで見た桜並木は、今や棒のようになって土に刺さっているだけだ。日本のシンボルを記念に贈るだけでは、貧しい人々には花ではお腹がいっぱいにならない。日本のシンボルとして桜なんて贈るのは、単なる押し付けではないかと思っていたが、ネパールに桜を植えて、もっと資源として有効活用を考えている人がいることを知り会うことができた。その人は上智大学に留学経験のあるMrs.Amira Dali(アミラ ダリ)で、流暢な日本語を話す女性だ。バイオテクノロジーの研究者の夫と共に郊外の家に住んでおり、自家の農園に桜の苗木を育種している。しかし、その桜で何を作ったらいいか悩んでいた。桜の活用法を提案している人は、まだネパールにはいないため、彼女の家や農園を案内されて意見を求められた。まだ活用方法を模索している段階だが、彼女は日本との縁を繋ぎながら、桜を育てている。彼女の家には、大きな桜もあって、屋上で花見ができる。その花をじっくり見ると、その繁殖力は旺盛で、種がたくさん付いていた。日本では通常桜は接ぎ木で育てる。種から育てても発芽率が悪いが、ネパールの桜は種の発芽率がほぼ100%だという。彼女は種をまいて2か月で発芽するというのだから、生産性が極めて高い。きっとネパールにはネパールの桜の利用法が見つかるだろう。
アミンさんの苗床
 ヒンズー教徒のアミラさんから面白いことを聞いた。ネパールの中でもネワール族の祝いの儀式に桜の木をつかうというのだ。何度も説明していただいたが、その儀式の写真などが無いため、紹介することはできないが、桜の木そのものを儀式で使っている点が興味深い。
 宿泊中のホテル、サンセットビューには、ブーゲンビリアや桜、菊や睡蓮など、日本なら春から晩秋にかけて季節ごとに咲く花まで何十 種類もが一度に咲いている。 ネパールの魅力は、ヒマラヤの山々だけでなく、いつか桜もその魅力のひとつになる可能性を感じた。