移民たちの桜2


はじめに

 桜を介しての海外との交流は、2007年にアメリカ合衆国シアトル市で開かれた桜祭り日本文化祭のイベントに招待されたことに始まる。2011年には、ブラジル連邦共和国サンパウロ州サンパウロ市での桜祭りで桜料理の講演をした。次いでパラグアイ共和国のアルト・パナラ県イグアス市日系人移住地において開かれた日本語教師の勉強会の場で、日本の桜染めや桜料理などの講演をした。これまで訪ねた3ヶ国の日系人との交流は、現在も続いている。
 この桜祭りの体験を通して、移民者たちとの縁が、どんどん広がっている。日本の自治体でも、桜や桜の縁を海外に広げてみてはどうだろうか。ここにシアトルの桜の縁が結んだ文化交流の活動を述べる。

シアトルの桜祭り

 シアトル市の桜祭り日本文化祭は、2007年4月20日~23日に開かれた。英名は“32nd SEATTLE CHERRY BLOSSOM & JAPANESE CULTURAL FESTIVAL ” 副題はLives & LegaciesⅢ。この英語の副題を直訳すれば、生活と遺産だが、その年は桜に関する生存や遺産という内容だとの説明を受けた。
 桜祭り日本文化祭の開かれる会場は、市内にあるシアトルセンターで、イベント会場が複数連なり、その周囲は公園、桜も植えられている。公園の敷地には日本的な庭園があって、天皇陛下が皇太子時代にお手植えになった桜が、今にも枯れそうな瀕死の状態であった。
 祭の展示や内容はそのテーマに沿い、日本から招待客もテーマに沿った人を厳選する。桜祭りの実行委員たちは、インターネットを駆使し、日本の桜守や桜に関するボランティア団体、樹木医などの活動にも詳しい。
 この年桜に関する招待客は4人だった。展示スペースには、木工作家、たなかあつし氏の木彫が展示された。桜染の私は、桜染めのデモンストレーションと染色作品の展示をした。日本の樹木医で庭師の水本隆信氏と三橋一夫氏は、シアトル市内の桜の治療のため招かれ、樹勢回復の方法を講演した。デモンストレーションや講演に関しては、日本語と英語の2か国語でおこなわれ、英語通訳のボランティアの協力を得ることができた。我々の滞在は宿泊から食事、観光に至るまでボランティアスタッフによって手厚くもてなされた。
 その他に招待された人たちには、シアトル市との姉妹都市、神戸市からジャズシンガーやロック歌手たち。彼らは、地元の音楽家と共にライブコンサートを開催した。その他シアトル市で、折り紙や生け花、茶道や書道などの日本文化活動をしている人々の作品展示や空手の体験教室が開かれ、会場の内も外も賑わいをみせ、大変盛り上がった。
 中でも人気を博したのは、和太鼓の演奏だった。和太鼓はシアトル市で人気があり、市内に6つのチームがある。期間中は、野外で威勢のいい和太鼓の演奏会が行われている場所に、絶えず人が集まっていた。

 このイベントは、毎年桜の開花を気にすることなく、桜を介した文化交流の場として、開催されている。シアトルの気候は、東京とほぼ同じで、町中に咲いていた関山や一葉は散りかけていた。来場者は、地元の日系人や日本人だけでなく、シアトル市近郊からカナダ西海岸に住む日本人もいた。
 私はわずかに残っていたシアトルセンターの桜の木の下で花びらを集め、展示会場の参加者に花びら染の体験をしていただいた。日系人やアメリカ人、大人も子供も関係なく参加してくれた。参加者に桜祭り日本文化祭に関心を持ったきっかけを聞くと、日本のアニメーションで日本好きになった人が多かった。キティちゃんのアクセサリーやアニメキャラクターのTシャツなど、大人にも子供にもキャラクター商品の普及率の幅広さを感じた。
 今年も桜祭り日本文化祭に訪れた人は、会場では音楽を聴き、展示を見て、日本食のお弁当を食し、五感を楽しませる日本文化を満喫したことだろう。この国の人たちは、望めばさまざまな種類の和食レストランで食事し、食材だってお酒だって、日本と同じものを入手できる。アメリカで入手できなければ日本から通信販売で取り寄せる事もできる。桜祭り日本文化祭は、経済効果も期待でき、その役割は大きい。
和太鼓の演奏に集まる人
桜染めを体験した参加者
 サンパウロで戦後移民の日系1世たちに取材した。誰もが語りながら涙を流す。移民直後は電気も水道もない生活、日々の過酷な労働などで帰国した人も多かったという。そのような暮らしでも、苦労を噛みしめ残った人は手紙とラジオの短波放送だけが日本との繋がりだった。日本が恋しく、春になると桜が見たかったという。
 その頃ブラジルに少本の桜があって、そこで花見は開かれていた。移民したての日系人にとって、花見が癒しの場だった。当時の花見は、花の開花に関係なく、決められた日程通り日本人会がチャーターしたバスに乗り、桜のある処に出かけた。
 心から桜を求めた日系人たちは、花見ができる場を作り上げた。それは日系の21団体が一致団結し、1978年にサンパウロ市の広大なカルモ公園内に、日系人の桜園をつくった。桜祭りは移民73年記念の1981年で、その年に(財)日本さくらの会から日本の桜が贈られた。残念ながら日本産の桜は、ブラジルの気候風土に適応困難で、一部が現存するが、花は咲いていなかった。
 見ごろを迎えている桜は、ブラジル産の桜で、その代表的なものとしてヒマラヤザクラが700本、オキナワザクラやユキワリザクラなど1500本ある。今でも日系社会はますます繁栄し桜園に新しい苗が植えられ、桜祭りも拡大している。しかし世代が変わるごとに日本語の話せない人が増えており、桜の保全や桜文化の伝承など課題も多い。

シアトル桜祭りの歴史

シアトル市内の桜
 ここでシアトルの桜と桜祭り日本文化祭の歴史を述べる。シアトル市内の桜植木の歴史は、1929年12月に北米日本人会が、日系人に対するシアトル市の厚遇に敬意を表して3,500本の桜を寄贈したことに始まった。
 シアトル市は、日本人がアメリカ大陸に移民した際の最初の上陸地で、かつては日本人町もあったが、今はその面影さえもない。
 シアトルに留学経験のある三木武夫首相(故人)は、アメリカ建国200周年の1976年に桜苗1,000本を寄贈した。その年に第1回桜祭りが催され、すでに30年以上が過ぎている。当時寄贈された桜も、再開発によって次々と切られている。そうしたなか現存する桜を少しでも健康に保ち、末永く愛でられる環境整備を整えようとする、桜祭日本文化祭の実行委員たちの願い、およびこの年の桜祭りのテーマの背景が理解できた。
 桜祭りの名称変更は、1979年に「日本文化紹介」というテーマが加えられ、文化紹介に場ともなり、2005年に桜祭り日本文化祭と桜祭り日本文化祭実行委員が、外務大臣賞を受賞している。このように社会的功績を築きながら、確実に歩んでいる。
 この桜祭り日本文化祭の実行委員や、ボランティアには、日本人の移民は1924年に廃止されているため、移民の末裔や日本人駐在員家族、留学生、結婚で移住した人々など、元気な高齢者が多く参加していた。
 実行委員長佐々木たづえ氏は、日系2世、日本舞踊を舞うバイリンガルだ。その夫豊(ゆたか)氏は東京生まれの日本人。ここで会った日系の人々は、日本に住む日本人よりもはるかに活動的だ。ボランティアの最年長者は、94歳の日系女性で、90歳以上のボランティアは4名参加している。
 なかでも速水夫人の姿には驚いた。彼女は、日系2世の92歳、バイリンガルだ。髪を美しく整え、スーツを着て、ハイヒールを履いて颯爽と歩いていた。こんな素敵な92歳の日系人に会ったのは初めてである。私の着ていたはっぴに「南信州、飯田市」と書いてあったのを読んで、私にかつて長野県飯田市で水引の技術を習得したことや、水引の素晴らしさを熱く語ってくれた。しかも、水引の織り方などを書いた本をアメリカで出版しており、なぜ日本人は水引の素晴らしさに気づかないのかと問う。海外で日本文化に関する質問を受けるたびに、自国の文化に無頓着であることに気づかされる。
 速水夫人の水引作品は、鶴亀などの伝統的なものもあるが、携帯ストラップやキューピー人形に水引で編み込んだ服を着せたものなどユニークなものが多かった。これらユニークな水引など日本で見たことがなかったが、このような作品が日本にもあったら、きっと関心が高まるかもしれないと思った。桜祭り日本文化祭は、日本人にさえ日本の良きものを再発見させてくれる場だった。
 この会場で働くボランティアスタッフは、イベント期間中の食事が賄われていた。彼らの食事は展示会場の台所で、年配ボランティアたちが調理していた。年配の女性たちは、割烹着姿て話していたので、興味を持ち話しかけてみた。彼女らは戦後にアメリカ軍人と結婚して渡米した人たちで、戦争花嫁と呼ばれていることを後に知った。
 桜祭りの歴史には、苦い思い出もあって、桜祭りが初めて開かれた年の6月に、桜植樹の記念に建てた石灯籠や記念碑が突き倒された。また桜の木がまた切り倒されて、合計140本の桜が切り倒される事件が起きていた。日系人や戦後アメリカに渡った人たちにとって、桜が心の支えとなっていることや、このような日本文化の紹介が大変貴重だと肌で感じだ。


宙に舞った桜

 2010年の春、STS131スペースシャトル「ディスカバリー号」に日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士、山崎直子氏が7人のクルーの1人として宇宙任務を果たしたが、それはシアトル市桜祭り実行委員会の夢がかなったときでもあった。 その年の1月末、桜祭り日本文化祭実行委員の佐々木夫妻から連絡があった。スペースシャトル「ディスカバリー」の最後の任務には日本人女性が搭乗する。そして、その便にシアトルの桜を搭載させる計画があり、宇宙で食する新しい桜料理を提案してほしいとのことだった。  スペースシャトルは当初3月に打ち上げられる予定だった。急な知らせに戸惑いながらも、フリーズドライ製法で作った桜花を送ってみた。ところが、アメリカの宇宙食の規定上、すべてアメリカ製でなければならず、残された時間では桜花塩漬けが可能だと判断し、その作り方を送った。その後、スペースシャトルの打ち上げが4月5日に延期されたことや桜が10日も早く開花したことも幸いして、シアトル市スワード公園付近で咲いた桜を摘んで、和食レストランで塩漬けに加工してヒューストンに送った。  シアトルの桜花塩漬けは、山崎直子宇宙飛行士によって、無事宇宙に運ばれた。そして山崎氏はスペースシャトルの無重力空間で、水滴と桜花を別々に宙に浮かせて、それを口に運んで楽しんで食してくれた。このシーンは、日本のテレビニュースで放映されていない。後にTBSテレビ局の特別番組で宇宙飛行士山崎直子氏の特集の際、この宇宙に舞った桜を食するシーンを見た。 「シアトルの桜を宇宙へ」という企画は、実現の2年前の2008年からあった。その年は、ディスカバリー号がスペースシャトル計画の最後の打ち上げとなることが発表された年で、日米通商条約批准150周年目の節目の年でもあった。シアトル市にとっては、天皇陛下が皇太子時代に植えた桜が50周年を迎える年でもあった。 さらにその年の桜祭り日本文化実行委員会は青森県八戸市から伝統芸能「えんぶり」を招待しており、青森県に縁を繋いだ。青森県の三沢基地では、1977年に米国ウェナッチ市まで、太平洋無着陸飛行を達成していた。八戸市と米国ウェナッチ市は姉妹都市になっており、太平洋無着陸飛行を成し遂げた飛行機「ミス ビートル号」を、その年のシアトル市にあるボーイング社航空博物館で、展示することになった。 この航空博物館の館長が、3回宇宙飛行をした女性宇宙飛行士バニー・ダンパー博士であったことも、宇宙への道を近づけた。ダンバー博士から、その夏シアトルでは世界宇宙飛行士大会が予定されており、日本人宇宙飛行士の参加もあるので、地元日系人社会で何か歓迎ができないかの相談があった。その大会には、日本から星出彰彦宇宙飛行士が参加した。星出氏はシアトルの日本語学校、補習校を訪問し、子供たちに熱いまなざしで、宇宙への夢を語った。このように日米の組織の間を繋ながら、段階を踏んで、ついにシアトル市の桜が宇宙へ舞ったのだ。
 

終わりに

 「シアトルの桜を宇宙へ」という計画の実現は、桜の縁の賜物だ。桜祭り日本文化祭実行委員たちは米国内で幅広く活躍するだけでなく、日本や日本人との縁を繋いで、積極的に活動してきた。桜は人の思い出残る花だが、人と人を結ぶ花でもある。
 日本でももっと桜を介した文化交流の場が増えることを願うものだ。日系移民たちも世代交代がすすめば、日本の親戚などとの縁も薄くなるだろうが、桜を介した縁であれば、だれとでも交流できる。文化交流が深まることで、国同士の相互理解が深まっていけば、世界平和も夢ではない。シアトルの桜が、今後どんな活動をするのか、ますます楽しみである。

桜の工房アトリエさくら代表
岡村比都美
桜の科学 17
当ページの 「移民たちの桜 ~シアトル桜祭日本文化祭について~」は日本櫻学会発刊の<櫻の科学>に掲載されました。
『櫻の科学』18 2013年10月31日発行
編集者・発行者 日本櫻学会
価格¥1,000(税込)
<下記にて購入できます。>
日本櫻学会
住所 162-0055 東京都新宿区余丁町7-1
(財)日本さくらの会内
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E-mail: sakuragakkai@royal.con.ne.jp