はじめに

 日本では南半球の情報が少ない。ブラジル連邦共和国では桜祭りが各地で開かれて、日伯文化交流の役割を果たしている。パラグアイ共和国にも桜がある。そこで2011年7月~8月、ブラジル共和国とパラグアイ共和国の桜を取材した。
彼の地の桜、それは日系人の歩みと共にあった。

ブラジル連邦共和国の桜

 ブラジル連邦共和国サンパウロ州サンパウロ市では、桜祭りが毎年7月から8月にかけておこなわれている。ブラジルのこの時期は、日本の春のような季節だ。既に日系人はブラジル全土に散らばって暮らしており、桜祭りは日系人による日本の文化紹介の場であり、地域の行事として定着している。
 桜の事に触れる前に、日系人の歩んだ歴史を抜きには語れない。明治時代にアメリカへの移民政策がはじまり、その後排日移民政策の強化でアメリカ移民が中止になり、南米へと振り替えられた。その背景は、国内の不況と人口増加の対策だった。その第一回移民は、1908年(明治41年)に笠戸丸で渡った781名だった。その後、第二次世界大戦で中断されるまで継続され、ブラジル各地に入植していったが、今や移民する人はいない。
 戦後の移民政策は、日本側では人口増加、更に農家の耕作地不足などがあるが、ブラジル側は、開拓者や工業化の技術者を必要としていた。戦後も年功序列の旧体制があって、それを嫌う若者や大学の拓殖学科で大規模農業を学んだ若者などが、夢を見てブラジルに渡った。その後、移民した青年たちのために、日本から花嫁を移民としてブラジルに嫁がせる世話人もいて、ブラジル国内の日系社会は徐々に拡大していった。今ではブラジルの人口1億8千万人のうち、日系人は150万人おり、日系5世まで暮らしている。
 では、日系人にとって桜とは、どのような存在なのか興味をおぼえ取材した。現在各地で開かれている桜祭りの功労者には2タイプの日系人がいる。親が第二次世界大戦以前に移民した日系で、ブラジル生まれの2世。そして戦後に移民した日系1世だ。現在も中心的な人は、戦前移民の日系2世と戦後移民の日系1世で、彼らは同じ70歳代だが、桜に対する思いは大きく異なる。
 戦前移民の日系2世は、ブラジル国籍で、日本語とポルトガル語を話す。それは戦前の移民が短期労働者としてブラジルに渡っており、帰国後に備えて子供に日本語を教えてきた。ところが日本は度重なる戦争をしており、彼らの中で帰国できた人はほとんどおらず、戦前移民の日系2世は日本も桜も見ていない。桜祭りに関係する2世は、桜花が好きな人や日本語とポルトガル語の通訳などによる交流の懸け橋的な枠割をしていきたようだった。
 戦後移民の日系人1世は、日本国籍をもつ日本人だ。彼らはまだ日本が貧しい頃に移民した。その頃の日本の最低賃金は、ブラジルの最低賃金より低かったという。しかし、彼らは、我々と同じように国語で桜の和歌を学び、図画工作で桜を描き、音楽で桜を歌っている。彼らこそ日本から切り離された厳しい生活環境の中で、桜と祖国への郷愁が強く、桜を見たいと強く願った人々だ。
 取材させていただいた農業移民者が、異口同音にいったセリフが印象的で、夢を描いて祖国を離れてみたものの、着いてみたら地獄だったという。日本が恋しくとも情報は少なく、帰国したくても資金もなく、春がくる度に祖国の春を思い出しては、我慢の連続だったという。
 桜祭りのはじまりは、日本人会が主催したバスツアーのようなもので、桜の咲いている場所に、日系人だけが出掛けて花見をしたという。開花予想が外れて桜が咲いていない年でも、木に桜の造花を付けて花見をしたという。彼らから「花供養」という言葉を聞いた時、異国で亡くなった同僚や友人たちにたむけたいのも桜なのだろうと感じた。
 今では日系人の経済力や社会的地位が向上して、企業スポンサーや行政の助成金も得られるようになり、大規模な桜祭りを主催できるようになった。既に日系人の集まりではなく、ブラジルでの日本文化交流の場に発展している。例えば、世界各地で日本食の人気も高まり、桜祭りの会場でも寿司や焼きそば、天ぷらの屋台は行列をなしブラジル人に好評だ。規模の拡大に伴い、日系人の若い政治家たちは多く集まるが、発起人たちは高齢化し、次期世代を受け継いでくれる若者の姿はない。
カルモ公園の桜園の様子
 このように桜祭りの歴史を振り返ると、現代の日系人社会の変化が見える。戦後移民の1世の子供世代は、20歳代~40歳代になる。先に述べた戦前移民の2世と同じく、ブラジル国籍でブラジル社会に同化している。   戦後移民1世である親の苦労を見て成長しているが、日本も桜も知らないから、親が桜を愛でて喜んでいる理由が解らない。近頃は日本で就労した日系2世がどんどん帰国しているが、彼らは桜祭りに関わっておらず、大規模に発展している桜祭りを、今後どう継承するかが課題だろう。
 2つの桜祭りを訪ねてみた。1つ目は2011年8月6日~7日 サンパウロ市カルモ公園内桜園での桜祭りで、大規模なものだ。会場のカルモ公園は、サンパウロ市営の公園で、広い敷地には池や子供用のプレイグランドと桜園がある。桜園は日本移民70周年を記念してサンパウロ市から日系人の団体が土地を提供され、日本の(財)日本さくらの会から提供された桜を植樹した。1977年から植樹し、移民73年目の1981年には日伯親善と交流の「桜祭り」が開催された。2008年には移民100周年を祝い、カルモ公園の桜祭りも30年となった。会場では和太鼓の演奏や盆踊りなどと同様にラジオ体操を見せていた。
 今では1日だった桜祭りが、今年度から2日間おこなわれ、推定来場者数が2日間で1万人という。 来場者のブラジル人に会場に来た理由を聞くと、日本食や日本のアニメーションが好きだという人や桜を買いに来る人などがいた。
 2つ目の桜祭り会場は、サンパウロ市から車で3時間行く高原の避暑地にあたるサンパウロ州カンポス・ド・ジョルドン市だ。日本の軽井沢のような別荘地域である。
 この街に桜の街路樹が多く、取材の協力者である日系人桜研究家 沖真一氏の説明によれば、古くから桜があって、桜が育つ土地柄だそうだ。
カンポス・ド・ジョルドン市の桜祭り会場

 桜祭りの期間は7月30,31日 8月6,7,13,14日と週末なのは、この場所が「SAKURAHOME」という日系人の老人ホームだからだ。この会場は、元は日本人医師 細井氏が1935年にカンポス・ド・ジョルドン市長から譲り受けた約20hの土地に、日系人の結核の療養所を建設した。戦時中は一時ブラジル政府に没収されたが、1959年に日伯援護協会が引き受けて療養所にしていたが、老人ホームとなった。沖氏によれば、サンパウロ州の桜は、亜熱帯気候のため沖縄や台湾に咲く品種しか根づかず、紅葉や落葉がないという。だが、この地は高原なので寒暖の差があり、ブラジルでは珍しく「陽光」が咲いていた。南米では桜の寿命が20~30年位と短く、ここでは隣接している丘に、次期世代用に桜苗木が植えられていた。
 この桜祭りは、今年43回目をむかえる。和食やブラジル食の屋台がでて、近隣に住む日系人だけでなく、ブラジル人の来場も多く、小規模ながらにぎわっていた。

パラグアイ共和国の桜

 南米大陸のほぼ中央に位置するパラグアイ共和国アルト・パナラ県イグアス市の 日系人移住地を訪ねた。ここは南米一大きいイグアスの滝に近く、入植は1961年200人の日本人家族からはじまり、現在は日本人と日系人が約750名、日系人以外が約8,300人住む集落だ。
 この地にサクラを植えるようになったのは、2000年頃だという。それまでは生活に精一杯で、花を愛でる余裕などなかったが、暮らしが豊かになり、食するだけの暮らしではいけないと気がついたという。 
 現在は初期に入植した世代が70歳を過ぎて引退して、2世で40歳から50歳代が農業を継いでいるが、日本で働く2世もいる。
 パラグアイ共和国への移民の歴史は、1936年(昭和11年)ラ・コルメナからはじまった。イグアス移住地の他にチャぺス、ピラポ、エルカルナシオンなどがある。日本が戦争していた1941年~51年間の日系移民は、敵性国民として政府の監視下におかれた経験をもつ。戦後の入植者の暮らしもまた過酷で、ジャングルを斧や鍬で開拓した。子供たちも危険に遭遇しながら学校に通ったという。今では彼らは300h以上の広大な農地に大豆や小麦、ヒマワリなど栽培しており、大農場の経営者である。
グランドゴルフ場の桜と日系人会長福井一朗氏
 イグアスの日本人会会長福井一朗氏は、ブラジルの日系人社会や日本とのパイプをもつ。ブラジルで育種された「雪割桜」を入手して、老人が楽しむグランドゴルフ場に植樹した。彼らの家は広く、庭には何本もの桜を植えている。
 福井氏は、岩手県出身で、3歳で移民した。彼はパラグアイの農業では珍しく遺伝子組み換えをしていな大豆を栽培しており、岐阜県に輸出している。日本との関わりが深く、東日本震災復興支援をしている。その支援とは、イグアスで栽培された大豆で、豆腐を100万丁つくり、被災した方々に食べていただこうというプロジェクトだ。イグアスの日系人だけでなく、世界中の日系人が日本復興の応援をし、多額の寄付をしている。
 日系人は、学校や職場では公用語のスペイン語を使い、自宅では日本語を使う。日本語教育は熱心で、日本人会の掲示板は全て日本語表記だ。子供には日本で教育を受けさせる親も多く、福井会長の息子さんも日本の大学を卒業して家業を継いでいる。
 食生活は味噌やしょうゆ、漬けもの一切を自家製で、大豆の産地だから、豆腐や油揚げも自前だ。日本の情報は衛星放送やパソコンで入手して詳しく、私たちはパラグアイの何を知っているだろうか。
 パラグアイ社会での日系人は、嘘やごまかしをしないので、尊敬と信頼が厚いという。その信用ある日系人の軌跡を自分たちの子孫に継いでほしいから「日本語と日本人らしさ」を大事にし、誇りある日系人として成長してもらいたいと福井会長は篤く語っておられた。
 この移住地を訪問した夜、福井会長と日本語学校の関係者と会食をした。おもてなし料理は全て日本食で、自分がパラグアイにいることを忘れるほどだった。日本語講師もパラグアイ生まれの日系2世や3世へと世代交代がはじまり、桜への関心をどう継続していくのか興味のある点だ。
 グランドゴルフ場に桜を植えたのは、功労者たちへ、日系2世たちによる感謝の現れだろうと思った。彼らの心の中に日本があり、そのシンボルに桜があって、日本語教育や日本の暮らしが継承されている様子を窺い知る取材であった。
 

終わりに

 日系人は、今の日本で忘れかけた風習を重んじて暮らしている。ブラジルでのことだが、戦後移民1世に、世界中の日系人が日本を応援していることを日本人は知らないだろう、といわれて、我々は確かに移民した同胞のことを知らない。
 南米を訪れて、桜を愛でて喜ぶ日系人に親近感を覚えた。彼らはエネルギッシュで、自分たちの桜を自分たちの手で育種した。そして、それを文化交流に発展させた。  桜の歴史は人の歴史だ。人は豊かな方向に流れるから、今や日本から南米へ移民する人はいない。今後、南米の日系社会は現地への同化を加速させるだろう。一方で南米から日系人が就労目的で来日し、日本に定住している日系人も少なくない。彼らは、親が離れた国へやってくる。彼らには、日本のグローバル化と人口増加に貢献していただけると良いと思った。

桜の工房アトリエさくら代表
岡村比都美
当ページの 「移民たちの桜 ~ブラジル連邦共和国とパラグアイ共和国を訪ねて~」は日本櫻学会発刊の<櫻の科学>に掲載されました。
『櫻の科学』16 2011年10月31日発行
編集者・発行者 日本櫻学会
価格¥1,000(税込)
<下記にて購入できます。>
日本櫻学会
住所 162-0055 東京都新宿区余丁町7-1
(財)日本さくらの会内
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